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母から見た娘
「扁桃腺」 |
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娘が歌に興味を持ったのは英国にやってきた今から約7年前、娘9歳の時です。英国の田園長閑なプレップスクール(小学校)の時であったと思う。お友達が声楽のレッスンをエキストラで取っていて、そのお友達から沢山の歌を教えてもらった。その彼女はこの年齢で作曲にもトライしており、その歌をカセットテープに吹き込んでもらったらしい。母である私にも聞かせたかったのだろう。聞いてびっくり、、、小学生が作ったものとは思えないこの曲、この演奏。このプレップスクールは小規模な学校でしたが先生方が素晴らしかった。小規模だからこそ、子供達の興味に従って学校内での行事をアレンジすることが出来ていたと思う。子供たちが曲(歌謡曲的なもの)を数名で作り、音楽の先生に相談に行くと授業時間外にその曲作りの手助けをして下さった。子ども達の興味に対して無視をしないんです。プレップ時代に行ったミュージカルについてのページがあります。リンクしますのでご覧になってみてください。 英国に来たばかりのこの時代に娘は音楽をそーと外野席から眺め、心をワクワクさせていました。でもまだ自分自身で音楽にトライするまでの心にはなっていなかったようです。
そして、1年後シニアの学校に入り、聖歌隊に参加し、その1年後には声楽もエキストラでとり始めました。この学校での聖歌隊は入隊1年後に辞めてしまうお友達が多かったのですが、なぜか娘は続けていたようです。
そして、現在の学校でも声楽のレッスンは続けており、オーディションが必要なミュージカルや聖歌隊、チェンバークワイヤーなどにトライ。この学校では大きな規模の学校であることが娘にとって有利に作用しています。選ばれることにより自分がやりたいことが出来る。ここには努力なくしては自分がやりたいこともできないと言う作用にもなった訳です。だから、努力は惜しみません。そして今、チェンバークワイヤーのメンバーにまで登りつめて来ました。娘が音楽に興味を持ち、楽しみながら努力できたのは英国の学校の体制があったからこそと思っています。
声楽を始めてたばかりの頃は、声が細く、ちょっとかわいそうだなと思っていました。娘が声楽をやってもいいかと母である私に相談に来た時、レッスン代がかかることから「まず1タームだけでいいからお試しでやってもいい。」とおねだりされた。声楽のレッスンを取ってみたいと言われ、母が一番先に考えたのは経済的なこともしかりですが、喉が塞がってしまうのではないかと思えるほどの大きな扁桃腺を持っている娘が、その細いのど穴から声が出せるのだろうかと思った次第です。ただ、喉が楽器となる声楽は喉を鍛えることにもなり、扁桃腺に強くなれるのではないかと密かに祈った母です。
幼稚園前にこの扁桃腺の除去手術を行うべきか、自然治癒を待つべきか大いに悩みました。数件の病院の医師に相談しましたが、回答は半分半分。親である私に判断は任されます。小さな幼児に全身麻酔での扁桃腺除去手術、麻酔は危険と隣り合わせです。大人になっても治らない可能性もある。高熱と低体温を繰り返すような状況も度々あり、心配の種の扁桃腺でしたが、母は選びました。自然治癒の可能性に賭けたのです。
声楽をはじめて1年目くらいから娘の口の中から出てくる小さな塊。胃の中から出てくるのか何処から出てくるのか?鼻くそほどに小さな塊でしたが、強烈な匂いがあります。でも、娘の口が臭い訳でもなく、その塊だけが強烈な悪臭の塊でした。もしかしたら悪い病気にかかっているのではないかと心配になりまして、その塊は娘の口から飛び出すごとに資料採集にと窓辺で天日干しされ、ビンの中に集められます。娘自身、体調はよいのですが、月に1度くらいの割合で1mmほどの塊が喉から出て来ていました。塊は貯まって行くけれど、病院に行かなければならない現象も無く数年が過ぎました。ある日風邪気味の娘の喉を覗いてびっくり!扁桃腺に白い塊が付着している。このことを知ってから3年の月日が流れた今、扁桃腺はほぼ無くなり、白い塊の出現も少なくなりました。病院での診断を受けてないので断定はできませんが、白い塊は声楽で喉を鍛えることにより、扁桃腺内部から出てきたものではないかと想像しています。最近急に声が出るようになり、歌が上達したのも喉の扁桃腺が萎んだことから音量を大きく出せるようになったものと思う。今まで邪魔な扁桃腺を抱えながら声を出そうと努力した喉が邪魔な扁桃腺が無くなって来た事により急に数倍ものよい声が出せるようになったのではないかと思う次第です。
娘が小さい頃に母が出した判断とその後の娘の努力が上乗せされ、扁桃腺との戦いはほぼ終わり、鍛えられた喉は娘の人生の前進にも繋がりました。
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