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子育ての言葉集 その2

◆決断の子供の一言
◆家族
◆親子関係
◆成長した夢
◆勉強しなさい!
◆My daughter is my diamond !
◆人生の自己管理、13歳! 
◆時と金・・・子育てにとってはどうでしょう!
◆夢
◆大阪の家族殺傷事件から思うこと
◆子どもへのプレゼント!!!について
◆おーてぇて、つうないで♪
◆女性の家庭回帰?
◆人生における成功度は10歳までに決まる?(ロンドン大学30周年記念プロジェクト)
◆人生に影響する言葉
◆我が子の教育方針は親の反省が基本かな
◆母のボヤキと喜びと矛盾?子どもに捨てられたーーー。
◆幸せな心配・・・Commonentrance(入学試験)

◆決断の子供の一言

子供の一言が親を後押ししてくれる。日本のインターナショナルスクール入学後の継続決断も留学を決断した時も娘の一言で、大きく高く険しい山登り的人生をトライする勇気を私に与えてくれた、娘の一言。
娘が小学校1年生の5月の連休、私と母とで10時のお茶をしていると、隣のお部屋で遊んでいた娘が急に「アッ!ママ、私忘れてた!」と飛び出してきた。「もうダメよ。学校はお休みになっちゃったんだから取りに行っても誰も居ないわよ。今度は何忘れたの?」この頃学校に忘れ物が多くあった娘に対して、すぐにこの言葉が出てしまいました。「ママ、違うよ。私にお父さんが居ないってこと、この学校に行くようになってから忘れてた。」・・・・・私と母は顔を見合わせてしまった。お茶のみ話の話題が世間一般のお父さんのことであったことから、隣室で我々の話を遊びながら聞いていた娘としてはお父さんと言う単語を思い出したのだろう。
日本国内のインターナショナルスクールの授業料は現在なら年間200万円くらいだろうか?日本の私立小学校の中では慶応幼稚舎が一番お高いですが、国からの補助金を受けることの出来ないインターナショナルスクールはその数倍もの授業料がかかる。母子家庭でありながらトライした幼稚園受験。入学させていただきましたが、父親の存在が必要不可欠とされる行事が多く、我々親子にはどこかでそれが大きな負担となっていました。インターナショナルスクールの年間授業料の高さに怖じけそうでしたが、娘に合わないようならば、1年間内に日本の学校に変更すればよいと思いながらインタナショナルスクールへ入学させました。私の思惑がこの娘の一言でどんぴしゃりと的中していたことにほっとした一瞬でした。子供の心が常にニュートラルになれるような環境づくりは親の責任です。子供の心が良い状態に居られるのであれば、険しい山登りも達成感で満たされるものになれます。私は娘のこの一言でインターナショナルスクールを続けることを娘と共に決意したのです。
そして、小学校3年生まで日本のインターナショナルスクールで過ごし、英国留学を決めた一言、、、
「苦労は早くしておいた方が後が楽だから、、、早くなれちゃった方が後が楽だよね。」9歳になったばかりの娘からの一言でした。留学と言う道があると言うことを娘に吹き込んだのは母である私。ただ、現実面で留学にも良いところ、悪いところがある。そのことを数ヶ月間かけて娘と吟味して来た。6歳から単独で1ヶ月単位の海外ホームステイの経験がある娘は母親と離れての寂しい体験は知っている。ここでも、母子家庭であったことから、私は常に娘に対して思っていたことがあります。それは私が死んでしまっても心健やかに生きてゆける子になって欲しいと願い、子育ての中にもそれを実行してきたつもりです。自分のことはなるべく自分で出来るように、そして、よそのお宅でのマナーも大切であるが、何よりも大切にしなければならないのはお母さんが居なくても生きて行ける心を育てること。目先のお勉強が出来ることよりもこの部分を教育の目標にしていたと思います。ここでも留学の費用を考えると途中で挫折しそうになっていたのは私の方であり、最終決断を出さなければならない日間近になって、私は経費の面から取りやめの方向に心が向いていました。しかしながら、ここでも娘の一言で私は留学を決断してしまいました。子育てには旬がある。この旬を逃してしまうことはお金の損失よりも更に大きな娘の人生の旬を逃してしまう損失になるのではないかと思ったのです。親の都合で教育をするのではなく、子供の心と照らし合わせた教育が大切です。孟母三遷何処いずこです。最初は1年が目標で、次は石の上にも3年が目標で、あれよあれよと言う間に7年が過ぎ、義務教育課程が終了しました。
そして、シックスフォーム(日本なら高校生)の学生となり、数週間前にも娘の一言があったんです。
「私はこのままだとたとえ大学生になれても、本物の大学生にはなれないだろうから、やってみるよ。」我が家は経済的理由から大学進学は難しいかもしれないと言う現実があります。このような現実があっても、そのときのベストを尽くせる人生を歩める子にだけは育てくれているようです。そこで、義務教育過程が終了し、結婚も許される16歳と言う年齢である娘は、自力で生きて行けるだけの力が本当にあるのかどうか?自分で試したくなったみたいです。現在の生活、私はシャドー(影)。朝目覚ましで自分で起きるからママ起こさないでね!料理は私がする。学校でも大学生になって自活するための料理教室があるんだから!洗濯は週に1回として靴下を買い足した。自分自身へのタイムマネジメントと自己管理を自ら練習期間突入です。時間があるととんかつなど手の込んだ料理もしてくれる。お父さん役と母役を兼任する私は料理があまりお得意ではない。娘は料理好きでよかった。どんなに時間が無くても朝食を食べてから出かける。朝食べないとお腹が空いてたまらなくなるらしい。忙しい学校生活と自活体制でハードなスケージュールをこなす娘の姿をボーと見ている、ものぐさ母さんも教育の一手段。目覚ましのベルが鳴り響いても娘が起きるまではベットの中、朝食が出来た頃に起きて、夜はお互いが忙しければ、お互いに好き勝手なものを食べ、完璧なまでの共同生活。お互い大学生気分かもしれない。
人生節目となった三つの娘の一言を主題に書きましたが、子供の心を見逃がさない、子育ての旬、親の都合ではなく、子供の心の成長に合わせた子育て、と考えながら、結局のところ子供に人生を引っ張ってもらって来たような気も致します。親子の関係は本当はどちらが先生なのか?生徒なのか?分かりませんが、互いが共に成長できる濃密な関係、それが親子なのかもしれませんね。
また、人は面と向かっての会話からは本心がなかなか出せないものです。日常の中のふとした一言に本音が込められていることが多いかもしれません。娘にも面と向かって私が聞いたなら、母の経済と心配を気にして逆の発言をしてしまっていたかもしれません。子育ては言葉を持たない赤ちゃんの時から、子供の心を如何に親が理解し(知り)、手助けできるかにあると思います。地球上の豊か過ぎる国々では知ることを無視し、手助けばかりを行うがゆえに親の愛情が上手く伝えられない現象が発生しているように思います。

2006年09月30日

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家族

田舎の私の生まれた家の今もある私の部屋の書棚から、若かりし頃の私の心を尋ねました。
学生時代からふと自分の心を感じたときにノートに書いていた私の心。
1986年2月22日(私27歳)まだ結婚前の私!!
子育てと称したページでありながら、今回は育てられている自分がここにあります。

ポツリ、ポツリ、、、、家族
私は東京で
父は初めての入院で
祖母は父の弱さを見て
本当の心の痛みを知ることが出来ました。
この心の痛み(やさしさ)を随分前から知っていたのは病弱な母だけだったかもしれない
心の痛みや苦しみの裏には優しさや美が隠されている
美しいものを知った家族
そこには、心と心で手を繋げる家族の和がありました

お父さん、ありがとう
お母さん、ありがとう
おばあちゃん、ありがとう

今回のお別れには涙がこぼれてしまいそうです
誰だって素敵な家族と離れて暮らすのは寂しいことだもの

でもここで家族全員で甘えの心が出てきたら元のもくあみ
私は東京に戻ります
いろいろなものとぶつかってもう少し自分を磨いてきます
一人一人の向上が家族の向上に繋がることと思います
家族全員で心美人になれるよう自分を磨きましょう
心の不安⇒心の小さい人、自分に自信が無い人、体にも良くない!私はいつでも傍に居るよ!
体力の無理⇒努力とは違うよ
これらは美しいことではありません
明るい家族は心の健康家族 
いたわり合って行こうね
私は田舎のこの家が大好きです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この時まで病気ひとつしたことがなかった父が心筋梗塞で入院。家族全員が大きなショックでした。

2006年9月6日(秋篠宮ご夫妻に親王様ご誕生の日)

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親子関係

子ども達にとって一番大切なことは、親子関係です。
その上に成り立つ良い教育
親子関係は人間関係の出発点
子どもが人生を精神的に楽に過ごせるか、苦悩を持ち続けた人生になるかは
ここが原点であると思っています。

母さんが母さんである前に女であり、一人の人間であること。子どもが子どもである前に一人の人間であり、親の所有物ではないことを誰もが知っているようで知らないことが多い。親は子どもの最高責任者であるけれど、所有者ではありません。豊かになりすぎた今日、子どもが労働力として働かされることは今の日本では考えられませんが、豊かだからこそ、親の所有物になってしまう場合もあります。
親が良かれと思ったことを子どもに強要することはないだろうか?我が子可愛さの擁護的行動であると思えますが、嫌がる子どもにとっては命令でしかありません。そして、子どもの心から発するシグナルは拒絶のみ。拒絶を通リ越して負担になっている場合もあります。感謝やそのことに対して更に模索する自由な心が失われてしまいます。受験時期に入った子どもに何万円も出してどっさりと参考書を買い与えた場合、子どもから「私は参考書では勉強できるタイプじゃないから!」と言う言葉が飛び出す。さしあたり、この状況は机の上に山積みされ、これからイヤイヤながら行う羽目になった仕事!としか思わないだろう。親の心が全て裏目に出てしまう行動が非常に多い、裕福な時代です。
我が家は経済的余裕が無いことが幸いし、参考書は必要最低限、娘からリクエストがあった時にのみ購入します。それも、「買って。」と言われてすぐに購入できるほど豊かな家庭ではない。そうするとやっぱり必要なかったかなということもあり、無駄が省けることもシバシバです。資本主義経済の中で貧乏は苦しいですが、貧乏がもたらす幸せもあるんです。娘は参考書を買ってくれとせがむ訳ですから、嫌いと言われるよりは楽です。
母子家庭の我が家は娘と母がパートナーとなり仕事をこなしますので、学生である娘は勉強の時間を一生懸命作り出さなければ、勉強する時間さえありません。だから時間を探して勉強をします。
それでも、娘は母さんが自分の力以上に頑張っていることを知っているから、感謝の念で接してきます。心から感謝されていると分かっちゃうと、その気持ちに答えてあげたいと思うものですよね。
子どもがそのものに欲する心がどんな状況下において湧いて来るか!これは子育てのポイントです。
「何万円も出して参考書を買ってあげたんだから親に感謝しなさい。」と言われても、言葉では理解できますが、心ではなかなか理解できるものではありません。ここに参考書のことを書きましたが、大変多く見かける親子の心のすれ違い事例です。

母親も子どもも、自分自身の気持ちを相手に伝えることが出来ること。
それには、自分自身で自分の心を知ろうとすることが出来なければなりません。
(自分の心に自分自身が無視をすることが多い世の中です。)
自分の心があれば、相手の心もある。
まず、自分の心の存在を知ることが出来れば、相手の心があることを知ることもできる。
そこから、相手を認める心が生まれます。
自分だって認めて欲しい訳ですから。
そして、相手の心を察すると言う思いやり、やさしさ。
これらが親子間のコミュニケーションで取れるようにしておくことが大切なのではないかと思っています。

英国の今の季節は夜9時くらいまで明るい。5時くらいからサンルームの階段に腰掛け、膝突合せながら話し始めた。そろそろ暗くなってきたね!と思ったら夜中11時。我々親子は本日も延々と6時間、話し続けてしまった。娘と話すのは私の知らない世界をも知ることになり大変楽しく、次の日に何も予定が無く、眠くならなかったなら、いつまでも話し続けることだろうと思います。娘は仕事でPCに向かいっきりの母親に対して、無理やりPCのフタを閉じ、「人とお話をする時は相手のお顔を見なさいって言ってたでしょ!」と椅子の向きを変え、話し始めます。娘にとっても、母にとっても、毎日話をすることが楽しみであり、生きるエネルギーになっているのかもしれません。お子さんの年齢にもよりますが、日常的に親子で何時間くらい話していますか?ちなみに、我が家にはTVがありません。

2006年05月31日

数日前のニュースに書いてあった
「お前が本当に殺したのかい。本当は母さんが一番最初に聞いてあげなくちゃいけなかったのに、聞いてあげられなくてごめんね。」事件を起こしてしまった少年は「親とはこう思うものなんだと思った。」と、、、、、こんな事件が起こるずっとずっと前から、小さな日常の生活の中で、この親子のコミュニケーションが取れていたなら、この事件は起こらなかったのではないだろうかと思ってしまいました。

どんなことでも、言葉で言うほど簡単なことではありませんが、日常生活の中では親としての威厳を誇示するのではなく、カッコよくても悪くても、自分を曝け出しちゃうと、子どもは喜びますよ。そして、親自身も楽な日常が送れます。

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成長した夢

私はキハチのアイスクリームが食べたくて池袋東武の噴水の前を歩く、、つややかな黒髪をなびかせながら。私の後ろを歩いてくる母は一人の男がナイフを持って娘の黒髪を切ろうとした姿を発見!娘を守ろうとした母はその男にナイフで刺されその場に倒れた。私は母に駆け寄り、男の前に立った。
「そのナイフを渡して」と手を差し出すと、その男は私の手のひらをナイフで傷つけた。血が流れる。「私の手を傷つけてもいいよ。私の手はいつかは治るから。」
「あなたの心もナイフで切られて傷ついているんだね。」
「でも、人を殺しちゃダメだよ。」
「殺しちゃったら、もう治らないんだから。」
「あなたも一緒にママを病院に連れて行くの手伝って。」
ーーーーーーーー
目が覚めてから現実の自分を考えた。本当にそんなことがあったら、弱虫の私はきっとママの側で「死なないで。」って泣いているだけだと思う。
2005年11月8日の夢・・扁桃腺で熱が出て学校をお休みしました。

以前にもこのページで娘の夢をご紹介しました。当時から見ると夢の中でも娘の心の成長が感じられて嬉しいですが、今回の夢はちょっとスリリングです。人は人に傷つけられると、この心の持って行き場を探して更なる人へと心の傷を伝染病のように広めてしまう。本当は良い人なのに素敵な人なのに、傷ついた自分を誰も理解してくれないと感じ、理解して欲しいがゆえに、相手にも同じように傷つけることによって理解を得ようとしてしまう。それも自分自身ではそのことに意識することなく、滞在意識がそうさせてしまう。犯罪心理とはそんなところにあるのではないかと思う。犯罪は犯罪を起こした人だけが悪いのではなく、そうさせてしまう要因が回りにあったはずだ。そして、犯罪者になるか、ならないかの瀬戸際は自分自身の滞在意識を自分自身がどこまで理解してあげられるかにある。自分自身の心が理解できたなら、心の解決の方法論も冷静に見つけることが出来るだろう。人は誰にも目で見えるその人と、隠れたところにある心のその人が居るはずだ。

2005年11月11日

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勉強しなさい!

GCSEに向けてコースワークも始まり、1月には大きなテストがある。クリスマスホリデーにお勉強道具は日本へ持ち帰ったものの、お勉強は手付かずの状態で英国に戻った娘です。英国に帰ってからもやらない。。。さすがに私も胃が痛くなりそうでしたが、「勉強しなさい!」などという優しい言葉は母の心にも厳しく言ってなどあげない。娘の甘え心から「勉強しなさいって言ってよ!親の役目でしょ!全然やる気にならないー。」と言ってばかり、親の言葉が必要なお勉強体勢ではこれからのお勉強に打ち勝って行ける訳がありません。
今回の試験では悪い点数を取る事にも意味があると思いましたし、その結果から、子どもの自発的なお勉強の取り組みを引き出したかったんです。親心としては、ちょっとバクチ的方法論ですが。テスト週間が始まって3日間は毎朝泣いてから学校に出かけ、3日目には学校をお休みすると言い出した娘です。お勉強しないままテストトライですから、誰だってその恐怖で泣きたくなります。普段なら、そんな日は休ませてしまいますが、テストのこの日は行かせました。
そして今、テストの結果が毎日返ってきます。私は胃が痛くなるほど「勉強しなさい!」の言葉を我慢したかいあって、娘の心は燃え盛っています。
(ここからはちょっと親ばかが入った内容もありますが、、、、)
泣きながらトライしたテストでしたが結果はクラスで一番が取れたもの、取れなかったもの、いろいろです。しかし、思ったよりは良い成績を出してしまいました。娘の燃え方は「勉強しなかったから数学は一つは1番、でも、もう一つは良くない・・・・が4番、バカみたいなところで間違っている。勉強やってたらもっともっと良い点数が出せたはずだよ。くやし〜い。絶対、もう、勉強してやる!」くやしながら燃えてます。机の周りの整理整頓からはじめ、食卓での勉強から、自分の机の勉強に位置換えもしています。さてさて、この燃える心がどこまで続くのか、親としても、この燃える心を聖火ランナーが持つ聖火のごとく守れるのか?と思っていますが。。。。
これからGCSEまでの1年半、更にAsまでの1年間は人生の中で一番お勉強をする時期になると思います。まさしく、将来に向けて自分の人生で打ち勝たねばならない最初の節目ともなる時かもしれません。悔いなく全力出せた、その結果は、どんな結果であろうと、その子にとって神が与えた最高の道なのだと思います。
結果を求めるのではなく、全力出せる心の体勢作りに何気なく関与できる親でありたいと思います。

2005年01月25日

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My daughter is my diamond !

指に輝くダイヤモンドよりも子どもの心の輝きは美しい。子育てとは子どもの心をどう輝かせることができるか、親として、子どもに接する人間として、、、、
子どもの心が芯から光り輝き、はつらつとしている姿を見るにつけ、私は左手を揚げ、「ほら、私のダイヤモンドが輝いている!」と思ってしまう。

娘がダイアモンドならば私はシルバーがザックザク!

子ども達の心がダイヤのごとく輝いているのなら、私も負けては居られない!
そう思ううちに、日に日に増え行く頭のシルバー、、、日本でなら黒髪の中にシルバーは目立つけれど、ここ英国は多色なヘアーカラーの持ち主が多く、ごま塩頭も一つの個性。。しかし、単なるごま塩頭では何の励みにもならない。そこで、ロングヘアーのごま塩、、、いやいやロングヘアーのシルバーザックザクヘアーを楽しむことにしました。風になびくシルバーのロングヘアー!これぞ晩年に輝く心の輝きそのもの!
染めていた髪の部分から線をひいたようにシルバーが見え隠れするコンビ色になりまして、ナチュラルの健康志向でありながら、誰よりも奇抜なファッションとなりそうです。そのせいか、最近のお洋服はお派手目の傾向あり。ゴールドのコートを75%OFFセールで思わず購入してしまった!
老い(地味):若さ(派手)は必ずバランスが取れている。若者は地味なファッションが若さを引き立たせ美しい。いろんな意味でバランスを取りながら老いて行きたいものです。

2005年01月29日

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◆人生の自己管理、13歳! 

我が家にとって、娘が本を読むのもTVを見るのも同じことであって、長時間の読書は母として嬉しくない。小さな頃からどれだけの本を読んできたであろうか?TVを見ていても、日常生活の中でも、読んだことのある本と関連する話題は多い。それだけ多くの本を読んでいる。本のお陰で多くの事柄に対し、知識は積んでいるはずの娘。
しかし、もうそろそろ本の中で学んだ人生経験を実際の生活で具体的なものにしても良いのではないかと母は焦る。学期末に小さな表彰状を戴いて来た。、ままな成績は戴いているようである。
しかし、その恩恵がゲットできるほどに際立って良いわけでもない。トップでなければ、二番もビリも同じ待遇さ!(スカラーシップが戴けれるほどの成績ならば高額の授業料が割引になるのにと、、、)と娘に愚痴をもらす母(私)。読書のお陰で英語の成績は常に良い。
しかし、成績が良いだけでは、世間に出たときに何の役にも立たない。
読者やお勉強、学校生活から、自分の生き方や、人生の目標を見つけ出し、それに向かって具体的に学ぶ内容を見つけ、自分の生活をコントロールして欲しい。
ただ、楽しくお勉強すれば良いという年齢では無い。もう13歳である。
今まで、子どもの人生は母親がプロデューサー役を務め、子どもの片腕となってやってきた。
しかし、日常生活の自己管理のみならず、人生の自己管理にも目覚めて欲しい年齢です。
今、私の母親としての課題はここにあります。
この課題に対し、具体的に母の行動や言葉はどうあったらよいのか試行錯誤しています。
突き放してみるもよし、一緒に考えるもよし。
知識力は母よりも勝っているであろう娘を導くのに、忘れてはならない人間の基礎となる心を伝えるしか方法は無さそうだ。また一つ、大きな山を発見してしまった。
何時になったら、頂上で大きく手を振り上げることができるのか!

隣で本を読んでいる娘に、この文章を書きながら
「だらだら本を読むんじゃないの!だらだらと勉強もするんじゃないの!本を読むのも勉強もそればかりを続けていては自分の人生に花が開かないよ!本の中の虚像の自分に花咲かせても仕方ない。」
そして、勉強も読書も好きでなかった母ではあるが、具体的人生では、まだまだ、母の方が勝っているぞ!と言いたくなったけれど、13歳の子どもと勝負しても仕方ないな!

2003年12月28日

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◆時と金・・・子育てにとってはどうでしょう!

お金を大切にする人があっても、時を大切にする人は少ない!、、、、よく言われる言葉ですが、子育てとなると、どうもこのところが逆になってきます。待ってくれない子どもの成長に合わせ、適切な時期に適切な環境を与えることも親の役目。そうなると、子どもが育つ時はかなり重要なものとなり、チャンスを見逃すと後になって面倒をしいられたりもする。子育てには旬があると私は思っています。子どもの心の成長の動きを親はしかと見つめ、あらゆる場面に即した、助言、行動、が重要になるはず。ここを疎かにしてしまうと、何時までたってもオムツが取れない子どもと同じ状態が発生する。子育てにおいて、お金も時も無駄なく使える秘訣は、子どもの心の成長を親が見逃さないこと。体の成長よりも心の成長は親が心でしっかり見つめていないと見逃しやすい分、大変な作業かもしれません。でも、喜びも何倍もあるはずです。

2003年11月27日

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◆夢

学校のクラスに数人の生徒と一緒に居たら、ダイアナの執事が私のところにやってきて「ダイアナと一緒にお買い物に行ってくれませんか?」って、私に聞いて来るんだ。でもね、彼のその言葉を聞きながら、そんなこと言ったって、彼女はもうこの世に居ないじゃない!一緒に行けなじゃない!と思いながら聞いていたんだ!・・・・・・そしたら目が覚めた。2003年11月12日の朝、Cheltenham

私の回りが激しい光で包まれたんだよ。めっくちゃ明るいんだ。それでね・・・・怖くって!・・・
2000年秋Dorsetのプレップスクールハウスにて

人間の夢は滞在意識から別世界の自分を立体的に見させてくれるものなのか?不思議なものです。上記は娘の夢ですが、夢を見るたびに起きてから本人がその夢を忘れていなければ、私に話してくれる夢物語です。
そして、聞いた私が忘れることが出来ないであろう夢でもあります。
激しい光の夢を見てから、洗濯機の激しい音にまで恐怖を抱き、私にしがみついて来る娘、とにかく恐ろしくて仕方ない夢だったらしい。その夢のことをもう少し詳しく聞こうとする私に、半泣きべそで「お願い。言わないで!」と思い出すことさえも拒否する。ただ、私の印象としては、英国の小麦畑に出現する円を主体にした幾何学模様のミステリーサークルが近くに出現する地域の学校の寮で見た夢であり、宇宙人との遭遇をしたであろう人たちが一様に激しい光と恐怖を抱くという事実からも、娘の夢も宇宙人との遭遇の夢だったのかと考えています?
また、ダイアナが天国に行ってしまった日と娘の誕生日は同じ月日なので・・・・・・

夢の内容によっては精神状態が良くないのかな?とか、不安なことでもあるのかな?とか、娘の夢からも「どうして?」を掘り下げて考えてしまう母です。
しかし、意外とこれが楽しかったりします。

2003年11月15日

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◆大阪の家族殺傷事件から思うこと

英国では学校のお勉強面と私生活の乱れは平行線上に必ずしも無いという現実は、日本から来たばかりの私には当初目新しく写りました。しかし、今回日本でも学校の勉強は優秀、家庭生活面でも良い子の表面を持つ子どもたちが事件を起こしました。表面では誰が見ても文句なしの彼らに、心では何が起こっていたのでしょうか?日本的価値観に当てはめれば、誰もが信じがたい事件だったのかもしれません。

日本は単一民族がゆえに集団行動、集団的思考が強く、その反面、念仏のように個性重視といわれながらも、現実社会では皆同じが良しとされるところがあり、それを家庭環境まで遡って見ても、世間と同じ価値観の元に教育をしようとする押さえつけが、暗黒の雲のように子どもたちの心に覆い被さってしまっているのではないか?
イスラムの世界ほど集団行動でもなく、欧米のカトリック、プロテスタントほど個人を重んじるでもなく、
現実生活の皆同じと思考部分の個性重視が中途半端な日本です。親が子どもを見つめる心が、子どもにとって、邪魔にならないこと、押さえつけないことが大切なんだろうな!親は子どもに期待するのではなく、子どもの心を自由に伸びやかにしてあげることが役目なんだろうな!なんて、いつもと同じこと言ってる私ですが、この事件からもこんなこと考えてしまいました。

勉強も親の期待に答えるためにやってもらいたくないですよね。
自分の目標達成のための手段にして欲しいです。

事件、世界、日常の人間の言葉・・・・・・
目先では判断しかねます。
プロパガンダ的支配により、自分や本当とは何かを見失ってしまいがちな世の中です。
誤魔化されず、自分を持ち、本当を知る、そこから、どう試行錯誤していったらよいかを子どもたちに伝えたいですね。そんな親でありたいと思います。

それにしても、これだけ若年層の事件が多発しているのに、教育改革がその問題の根本に迫ったものとして進行しないのはなぜか?ある面、サッチャーさんの教育改革を見習って欲しいですよ。
子どもたちに現実と思考の面で混乱をさせている教育がなされていませんか?教育基本法が現実に基づいてのものでないからと思えてなりません。上っ面改革ですね。
改革しても、その結果が子どもたちに出てこない現実を政府は見ているのだろうか?
目先改革は効果ナシでしたね。

私は事件を起こした二人の子どもたちよりもむしろ、子どもたちがその思考になるまでに育てた環境の方が恐ろしいと思います。どんな価値観と教育方針を持ち、どんな家庭運営をなさってらしたのか?!間違った世間の価値観と家庭環境で育てられた彼らは被害者です。

噂では大学生の親御さんも高校生のご両親も教育関係者と聞いています。
このことからも、国の教育方針や世間の価値観を見直す必要があるように思います。
2003年11月07日

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◆大阪家族殺傷事件その2

読売オンラインニュースではこの事件を続けて掲載しています。
大阪府河内長野市の私立大学1年の男子大学生(19)
交際相手の高校1年の少女(16)
2人は一緒に生活する場所を確保する目的で双方の家族殺害を計画
共犯の強盗殺人と強盗殺人未遂

あばたもえくぼ、恋に陥った男と女が周りが見えなくなってしまう兆候は世の常として、ここまで見えなくなるものかとうろたえてしまう。女性の友達同士、会う約束をしていても、急に彼からのお誘いが入るとドタキャンしてくる彼優先の友達も居る。しかし、この事件は桁外れだ。人間の心理追及のためにも真相を知りたい出来事です。
家族を殺害し、自分たちの自由を獲得する。その上に殺害した親のお金を自分たちが生活するための資金源としよう。と考えたのは本当だろうか?

何故そこまで性急に一緒に居る必要があったんだろう?一緒に居たい、、、、、この問題は親子間でもある問題です。我が家では子どもが6歳の時から1ヶ月単位で海外にホームステイしていました。同じ空間を共有する同じ家での生活時よりも、地球の南と北であったり、裏側であったり、オーストラリアやイギリスに子ども一人で行き、日本で子どもを案じている私は、同じ家に生活している時よりも、心の中に娘を近く感じてしまいました。目先の現実的、物質的なもの以外にも、心での自分の活動を確認する場面が今までに彼らには無かったのだろうか?日本や香港は物質的なものが表に出すぎて、心が隠れてしまう、、、、時には忘れ去られてしまう。年齢的に自立できる準備が出来ていない現実を踏まえ、心で温めあえる恋愛に持って行けなかったのは大変残念なことです。
もしくは、一緒に住みたいと思う気持ちが強烈にあったのなら、真正面からそのことを検討してみても良かったのではないだろうか?学生結婚、同棲、けしてお勧めは出来ないけれど、殺人を犯すよりも微笑ましい対策であったはず。ここで問題になるのが、日本の価値観の単一性!彼らは、今の日本では学生結婚も同棲も死んでも許されないだろうと思ったに違いない。周りの大人の心の狭さかもしれない。突飛な事を考えたとしても悩んだとしても、それを聞いてくれる大人、相談に乗ってくれる大人の存在があってもいいはず。子どもが何でも話してくれるか、くれないかは、相談を受ける大人の問題でもある。まずは、大人が価値観の単一化を捨て去り、聞く耳を持てる人にならなくてはいけない。

現代社会では早いとされている10代の結婚やSEXや子どもを持つことに対して、体の成長度から考察するとけして早くはないという結果も出ている。(先週BBCのTVで見たばかり)世界を見渡しても、10代は子どもであり、結婚、SEX、子どもを持つことが許されることが少ない。しかし、その昔はどうであっただろうか?現在の経済や学歴優先の社会が婚期を遅くし、それと共に、子どもを持つ年齢も高齢化されている。ただ、英国は母親となるべく一般的適正年齢の女性の出産率よりも、ティンエイジャーの出産率のほうが高くなってしまいました。これは、高学歴社会には問題なのかもしれない。ただ、これらの現象は自然の流れでもあるような気もします。こんなところにも、人それぞれの個性が認められる時代になって欲しいものです。

英国はいろんなことに対して、統計を取るのが好きな国です。時にくだらない内容の統計を見ることもありますが、それが現実を教えてくれるものでもあります。先日見た統計結果には、「死ぬ前に出来たらしてみたいこと」、そして1位は「イルカと泳ぐ」だったと思います。現実を知ること、昔と今の変化を知ること、統計からの発見や変化から、具体的な方法論や考察をする国、英国です。伝統を守りながら、物事の本当を知り、新しい発見をして行く。価値観の単一化が固定されきっている日本では生まれてこない発想かもしれません。
日本はあらゆることに対して、本当は何かと掘り下げて考えることに顔をそむけてはいないだろうか?掘り下げて考える前に、固定化された価値観で物事を処理してはいないだろうか?

2003年11月20日

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◆子どもへのプレゼント!!!について

 

お誕生日でもクリスマスでも悩みますよね。
我が家の場合は・・・・・・
お誕生日は定番プレゼントです。
1歳の誕生日からオーストラリアのカンガルーコインを1こづつ増やしています。
カンガルーのデザインは毎年違うので楽しみです。
また、ティファニーのシルバーネクレスも小学校から毎年デザインを変えて1こづつ。
ミキモトのシルバーの写真立てはデザインもオルゴールも全く同じものを1こづつ。
変化の無いプレゼントが続いています。これらは、きっと将来どこかで役立つだろうと思いながらのプレゼント選びです。
クリスマスは11歳までサンタが居ることを信じていたんですよ。
これは、親の工夫がないと続かない!苦労のしどころです。
クリスマスプレゼントは子どもに役立つ+欲しがるものになりました。
サンタは親であることがいつかはバレますから、継続性のあるプレゼントではありません。
内容よりも、いかにサンタの世界を長く信じさせてくれたかが、子どもにとって大きいようでした。
知りたがる時期が来るけれど、知らない時の方が楽しかったようですよ。

当初はお誕生日の継続性あるプレゼントにドールハウスが入っていたのですが、現在はドイツとのやり取りは娘が全てこなしており、プレゼントされる側からする側になってしまったようです。
私たちとBodo-Hennigのドールハウスの出会いは、今から10年前のクリスマス時期でした。
2003年10月21日

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◆おーてぇて、つうないで♪

娘がヨチヨチ歩きの頃から、母の手は安全の基本のようであったけれど、10歳、11歳を過ぎた頃からこの安全の鎖は娘自ら振りほどされてしまった。
英国では学校の近くに住まいがあったため、土曜日曜のお買い物では、同じ学校の生徒にショッピング街で良くお会いする。母とのおててつないでが、恥ずかしい、もう子どもじゃない、おててはもういらないになってしまった。
私の10年にも渡る、おててつないでの人生に終止符が打たれてしまった今日この頃、歩いている自分がどうも不安定でならない。歩き始める時には、未だかつて、手つなぎの体制で、相手の手を迎えに行ってしまう。おててつないでに肩透かしを食らわされ、体はどうにか、転びもせず、立っているけれど、心はちょっと空洞状態で、つっころんでいる。
かつて、小さな幼児のおてては、母の手の中指を掴むのが丁度良いサイズであった。
この手の繋ぎ方も、娘の手の成長と共に何度か変化してきたけれど、最終的には子どもの手の人差し指、中指をくっつけて、その他は母と子どもが一本置きの交互に組み合わされた。
荷物があろうが無かろうが、おてて繋いでの母子であったのに。。。。。
そんなことを考えながら歩いていると、英国人にとって、このおつないでの相手は私とはどうも違うことに気が付いた。若いカップルは日本でも珍しくないおててつないでですが、私と同じような年齢のご夫婦もおててつないで街を歩き、その後ろに子ども達が歩いている。それどころか、70代、80代であろうカップルもおててつないでで街を歩いている。よくよく見ていると、手を繋がないで歩いている男女は、喧嘩でもしているのかな?円満ではないのかな?男性が紳士的でないのかな?とさえ思えてくる。
日本のおててつないでは、子どもと大人の関係ですが、英国のおててつないでは、男と女でした。
私はこれから誰と手を繋ぐのかなと考える、、、、、きっと、年老いた母や父に違いない。
そう思うと、日本は安全重視の子どもや年配者へのおててつないでであって、英国は男と女の愛情のおててつないでなんだなーーとも思えた。
2003年10月20日

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◆女性の家庭回帰?

フランスでもイギリスでも各調査機関で出された結果として、単純な平等主義から女性は女性としての幸福を求める傾向が強くなっているようです。女性の社会進出が叫ばれてから多くの時間が過ぎ、それと共に家庭崩壊の傾向も強くなり、経済的豊かさだけが我々人間の幸せでないことに気づかされてくれるようでもあると思います。母親が仕事をしている家庭の子どもの方が精神的不安定で学業成績も劣る。という調査結果もフランスで出ているようです。母親が仕事を持つ場合、子どもの心の安定を主軸に考えた工夫が必要でもあると感じます。私は娘が小学校入学と同時の4月1日に会社を設立しました。自分で仕事を持つことは時間的な自由がきく、学校から帰ってきた時に家に居て「お帰りなさい。」と迎えてあげられる。娘中心に仕事の計画が立てられます。しかし・・・・儲かる会社にはなかなかなりません!!!それどころか、娘UK留学となり、私も孟母三遷、UK暮らしとなってしまいました!!この頃思うこと・・・・女性としての回帰が私には必要だ!!2003年7月16日

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◆人生における成功度は10歳までに決まる?(ロンドン大学30周年記念プロジェクト)

10歳までに培われた性格で予測するものです。
10歳までに:悩んだ子・良く泣いた子・一人で遊んだ子→将来成功確率が高い。
10歳までに:落ち着きの無かった子・自分の持ち物を壊してしまう子・反抗的だった子→将来の成功確率が低い。
10歳までに問題を他人のせいにする子ども:学業ふるわず→良い就職が出来ない→収入が少ない
10歳までに本を読まない:人種差別傾向が強い
女の子は将来の成功のために数学能力が大切
男の子は将来の成功のために読書力が大切
男女共に将来の成功のために良い人間関係が大切:将来の収入を助ける・安定した精神状態を保つ
社会階級問わず将来の成功のために:美術・音楽・読書を楽しむ→将来の収入に大きく関係
総合的には様々な分野の学習経験が大切

これらの結果から私が感じたこと、それは言葉表現が十分でない赤ちゃん、子どもの心を何処まで理解して上げられるか、要求をどこまでキャッチしてあげられるか、そんなところから安心を子どもたちにどこまで提供できるかにあるような気がしました。安心=信頼が土台なんだろうな!と。
2003年7月16日

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◆人生に影響する言葉

私が小学校の低学年であった頃(小学校1年か2年)、今は亡き祖母と自宅に向かって歩いている時に、私は学校での出来事を祖母に愚痴っていた。何処からの帰りで、なぜ祖母と一緒に歩いていたのか、今となっては記憶に無いが、その時の場所、一瞬の光景、祖母の言葉は鮮明に残っている。私が通っていた小学校の裏手の道から、新宅の家がある細い道にさしかかるあたり、自宅方向左の空が心に見えている。話の内容もうつろに覚えている。同級生の弥一君が私の心や行動とは違う非難を私に浴びせた。私は自分の正当性やどうしてそんなことを言われなければならないかを祖母に愚痴っていた。今思えば、彼は幼稚園の先生のお子さんで、私は幼稚園時代、彼が同じクラスに居ることも知らず、彼のお母さんでもあるクラス担任の先生にメタメタに甘え、手のかかる園児であり、先生の後を追って、職員室、トイレまでくっついて歩いていた。彼はそんな私に対して、僕のお母さんなのにの感情で、私のことを良く思っていなかったという内情もある。その頃の私にはこれらを理解し得なかった。そんなこんなで、小学校に上がってからも、理由など無く、彼は私を非難することが多かった。祖母からの言葉は簡単だった。「おてんとう様は見てるよ。人が何と言おうとちゃんと見ててくれるから。」私は子どもながらにその言葉をかみ締めた。この言葉を頼りに今まで生きてきたところもある。忙しい母に代わって私の世話をしてくれた祖母は私をわがままに育てたけれど、心は自由に、心の本当は何かを教えてくれていてくれたと思う。そんなところから、社会的価値基準よりも自分に合った生き方を選ぶようにもなっている。言葉を持つ人間は、言葉によって人生観も違ってくる。それが、子ども時代に心に抱く言葉であるとしたら、娘には日常の生活の中でどんな言葉を贈っているのだろうかと考えてしまった。2003年7月15日
追記:人間の基本となる性格が3歳までに築かれるとしたら、生き方は小学生時代に築かれてしまうのかもしれない。小学校の年齢時代に知的リッチ体験を沢山できることは大切なことであり、英国留学でのインデペンデントスクールの生活は理に合っているのかもしれないと、自分で納得してしまった。子どもへの教育効果は測りにくいが、娘が老年となった時に、良い人生が送れたと感じてくれたなら、ありがたい。2003年7月15日

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◆我が子の教育方針は親の反省が基本かな

ダメな親の子ほど、子どもがしっかりしている!とは良く言ったもので、我が家でも、他人から見たら普通の娘であっても、このダメな親から見たらトンビが鷹生んだみたいなものだと思ってるんです。
その訳はね↓。

私は一人っ子で両親が結婚してから11年目でやっと生まれた子どもでしたので、やや(かなり)ワガママに育ちました。
このワガママが今の私を作り上げたのかもしれません。
社会に一歩出ると、このワガママが私を苦しめます。
一人っ子+ワガママは社会的適応能力ゼロなんです。
自分をどうにかしなくてはと、いろんな本を読みました。
心理学でもいい、三島幸雄のように内面性を探る本でもいい・・・
最高に役に立ったのが、育児書だったんです。
学生時代から娘が生まれるまで、多くの育児書を読みました。
生まれ持った性格(これはお母さんのお腹の中で育まれる部分も多い)+後天的な環境によって与えられる環境で性格が確立するまでの、自分では意識の無い赤ちゃんの頃を振り返る。
育児書に出会わなかったら、私は自殺していたかもしれない。
本来、しゃきっと自分一人で立っていられる人間ではないんです。
どんなに自分を自分で理解して上げられても、「何でも人に頼るわがままな子!」の基本ラインから抜けきることができません。
この基本的性格とは180度違うイメージに見えてしまうのは、心の反動からのカモフラージュなんだと思います。
「1から10まであったら9までは人を頼らなければ何も出来ないな!」と小さい頃、父から良く言われましたが、そんなふうに育てたのはお父さんたちじゃないか!と今なら言ってやりたいよ。
その子どもの将来を見据えた教育が大切であって、目先でかわいがるのは親の満足感か手抜きでしかない。
自分の娘にはこんな心の基本部分で悩むような子どもに育てたくなかった!
大人になって、社会に出ても、楽に生きられるようにしてあげたかった。
これが、私の子育ての基本です。
妊娠している時の胎教瞑想から始まり、一番手を掛け、厳しく(叱るのではなく徹する心)育てたのは0歳から3歳まで。
娘が3歳までは人間とのコミュニケーションを大切に家にTVを置きませんでした。
こうして、自分の人生を振り返っても、我が子を見ても、その人が育つ環境でその人が作られる。
それも、外的環境と心の環境が影響されながら。
罪を犯してしまうのも、浮浪者になるのも、誰もが可能性を持っている訳です。
こんなところから、下記のことを考えて見ました。

刑務所、囚人・・・・母なる心で

近頃、日本国内の刑務所における刑務官と囚人の間に、どちらが指導する側の立場なのかが分らなくなってしまうような事件がニュースから入ってきます。
罪人とて、人間、良いところも悪いところもあわせ持っている。刑務官とて同じ。我々人間は良いところも悪いところもあわせ持っているから人間なんです。
刑務所に現在いらっしゃる人たちは、自分ではどうすることもできない、その環境の犠牲者だったかもしれない。どんな苦難に出会っても、裏切ることのない愛情を感じることができたなら、誰だって自分で大損をするような悪いことはしないはず。刑務所に入るなんて、大損だから。
裏切られた愛情、嘘、罠・・・こんな人間の落とし穴に落ちてしまったんでしょう。
心の裁判があったなら、刑務所に実際に入る人間は今刑務所に居る方々ではなく、しゃばでのうのうと暮らしている誰かさんになるのかもしれません。
時に、人間を心の窓から人を覗いた時に、許せない!と思うこともありますよね。
見方を変えれば世間の犠牲者ともとれる彼らに、刑務所に入ってまで、更に心ひもじい環境を与え、反省も更正の余地もなくしてしまっているように思えてならない。
見せしめとして、人間が人間に非常な行為が許されるような時代ではない。
できるなら、人間として生まれた以上、彼らに本来の人間の心を呼び覚ますことができるような、心環境の復帰の場にならなくてはならないはずの刑務所。
刑務所は子どもを育てる母の心で、刑務官が対応すべきところですよ!
(口で言うのと現実のギャップは勿論ある。私の考えは理想でしかないかもしれないけれど・・・)
彼らにだって、心安らぐ、ホッとできる時間や相手が時にはあっても良いような気がします。
彼らに本当に必要なのは母から与えられるような心の温かさではないでしょうか。
凍った心を叩いても砕け散るだけですよ。

刑務官の方々も心健全な対応が出来るような職場環境やシステムの整備が必要ですね。

私は、世の中が全ての事柄を母なる心で考えられたなら、今よりももう少し穏やかな世界となることが出来るような気がしてなりません。
2003年2月14日バレンタインデー・・・塀の中の彼らに愛を込めて

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◆母のボヤキと喜びと矛盾?子どもに捨てられたーーー。

娘の努力と母の知恵!親子プロジェクト留学・・・・そんな我々親子のプロジェクトに変化が生じてきました。9歳から当初一人で留学していた娘のところに母はやって来た。日本とイギリスを当初は年間7往復したこともある。(仕事と母の都合で)子どもは留学先でもタンタンと生活し、エンジョイしているのですが、母親が問題です。通いの学生であった方が、全寮制よりもお安く、イギリスで母が生活し、通いの学生であれば生活費も含め経済的であることの理由を押し出し、母は仕事も縮小し、イギリスに来てしまった。
ただ、この選択は間違っていたとは思っていない。娘の方からはっきりと自立的対応が出てくるまで見届けられたこと、充分な愛情の土台が固められたと思っている。無理やり引き離す自立よりもスムーズに安心でもある。このような兆候がはっきりと出てくるまでの2年間は、体の成長だけでなく、心の成長にも大きな変化があり、見ている親も楽しい!この貴重な時期を時と金と親の都合よりも優先させることが出来たのは本当に感謝です。そろそろ、親子プロジェクト留学は私(娘)のトライ留学と変えなければなりません。

人間は(私は)誰かに頼られるか、頼るかの関係がないと、しゃきっと立ってられなくなってくる。今までは娘が私を頼っていたことには間違いなく、母として頼られる側でどうにか立っていましたが・・・・このところ、どうやら私は娘に捨てられたらしい。いたって良い親子関係であることは間違いがないし、仲も良いのですが、娘が私を頼らなくなってしまった・・・・必要で無くなってしまったみたいです。親としてはこの成長を教育、子育ての成果として嬉しく受け止めなければならないのでしょうけれども、・・・・・元来、私は一人では立ってられない性分ですので、寂しく、心細い日々を送ることになってしまいました。具体的な捨てられた現象・・・手を繋いでくれない。全寮制に切り替えたい。(ママよりもお友達と一緒が楽しいみたい)本が大好きな娘は本ばかり読んで私と遊んでくれない。・・・・そんなことはどっちでも、心が自立してしまっていることが良く見える。挙句のはてには「ママ、人生一人は寂しいから、ママのこと大切にしてくれる人がいるといいね。でも、りこのこと忘れちゃダメだよ。」と・・・母は完璧に子に捨てられてるー。日々の生活が今はもうたまらない。朝7時半から夜9時までは学校の娘。(UKのインデペンデントスクールは全寮制が基本ですので時間割もそれに準じています。)昼間の私は、死んでます!!!2〜3年前は私がココに居ることにも意義があり、日本の家も処分してココに住むことにしましたが、今となっては帰るとこもなく、寂しい生活・・・・・・・次なる私のアイボウ(子どもと違って一生一緒にいられる人)探しの人生が始まった???。娘と、今まで、世界中飛び回ったけれど、主人とも同じ目標に向かって一緒に飛び回ってみたいですね。一人で寂しくじっとしているのがイヤになって、ムズムズしている・・・・今の感覚です。
こんなMailをお友達に送ってしまった!親として幸せです。
2003年2月

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◆幸せな心配・・・Commonentrance(入学試験)

日本でもUKでも、受験シーズン真っ盛り。
日本ではインフルエンザが猛威を振るう中での受験になってしまい、受験生のご家庭では健康管理も大変であったと思います。殆どの中学校の試験は終り、結果待ちと言った所でしょうか?
この中学校受験含め、子どもも12歳にもなると、親ではどうすることもできない事柄が多くなり、見守り教育に入って来ます。生まれた時には親の手助け無く生きることが出来なかった赤ちゃん時代から徐々に手はかからなくなって来た。手伝うことが出来た頃を懐かしく思うと同時に、見守り教育の今とどっちが楽だったのかな?とも思う。今は、心配ばかりで、手伝って上げられることが少なくなってしまった。
親の心配する心があるから、子どもとて安心して世の中に、少しつづ、足を踏み込むことが出来るのだろう。親の心配する心(見守る心)は、手や口に出さなくても、子どもはちゃんと理解している。
子を持って、しみじみと感じる、親のありがたさ!かな。
望みもしない戦争で苦しんでいる人たちも、この地球上には沢山いるのに、私たちの我が子に対する心配は極楽の心配事です。試験の結果がいかような方向であっても、按ずることなかれですよ!また、私たちの願いが叶ったならば、その心を弱者に向けようではないですか。子どもたちへの教育の真髄は私利私欲の世界のリーダーになることではなく、全人類の小さな幸福のために役立てられる方向に歩んでもらうためのものであって欲しい。本当とは何かを見極められる目を持つ為の教育であって欲しい。
こんなことを目標として子どもがモチベーションを維持できるよう、心のフォローに役立てる親になることが、今の私の目標です。成長して行く中で、子ども達の前に立ちはだかる数々の困難を、子ども自身がどう乗り越えて行くのかが楽しみです。子どもが生まれてから、今日までの親である自分自身の成果でもあるのですから!
13歳から19歳はTeenager。eleven(11)でも、twelve(12)でもない、thirteen(13)、fourteen(14)・・・のティーンエイジャーの若者ですよ。子どもじゃない!
親も子どもに合わせて成長しなくちゃね。子どもは若者となり、母はババとなる???
それじゃ夢も希望もないから・・・母は・・・LovelyGirlになるぞーーーー!!!!
娘なんぞに、女の魅力、人間の魅力で負けてなんかいられないよ。
2003年02月05日

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