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                     娘から見た母さん 「ママはメイちゃん!」  | 
                 
  
                
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                     日本で「ゲド戦記」のジブリ映画を見てきた影響で、英国に戻ってからもジブリ漬けになっている娘。インターネットでジブリの映画を総ざらいで見ている様子。映画は自分がその映画を見た時代を思い出す、懐かしいものでもある。 
                    娘が映画の画面見ながらめちゃくちゃ楽しそうにニヤニヤケラケラと笑っている。昔見た映画をこんなにも楽しく見れるなんて、幸せな子だ!と思いつつ母は傍らでその様子を感じていた。「ジブリ好きなんだねー」と私が言うと「ママが居る!」「もうそーっくり!」ケラケラ、、、「トトロなんて子供っぽくて見てられないと思っていたけど、ママを見ているみたい。」「こーーんなに楽しい映画だとは今まで気が付かなかった。」、、、、なんだって、、、、トトロの映画に私を連想させるものなんてあったっけ?「飛行船に乗ったばあちゃんなら私ってことも考えられるが???それはトトロじゃないなー。」 
                    「ほら見て、ここにママが居るでしょー!」と言う娘。どれどれ、、、と娘の傍に行って見せてもらう。巻き戻して見せてくれた。キエー!私がどうしてメイちゃんなのよー!!??普通なら、メイちゃんのママとか、メイちゃんのお姉ちゃんのさつきちゃんとかでしょ。ちょっとショック。 
                    「私がメイちゃんならトトロが目の前に来たら怖くなっちゃうと思うけど、ママならきっとメイちゃんのリアクションだよ。」んーーーそうかな?と真剣に考え込んでしまった私。トトロが本当に居るんだと訴えて木立の中を全力突進、でも元に戻ってしまい、ぐぇーんと泣き叫ぶのはやっぱりママで、おばあちゃんと手を繋いでさつきちゃんの学校の門に立っているのも私だと言う。娘には言わなかったけれど、、さつきちゃんはどこか娘に似ている。 
                    幼稚園の頃、このトトロの映画を見て、娘はママが居るとは言わなかった。小学校時代にも勿論言ってなかった。そして今、同じ映画を見て、メイちゃんが私だと言う。言われてみれば、似てるかも?、、、、。純真で無鉄砲でいつでも一生懸命で怖いもの知らずの馬鹿な母ちゃんの姿を隠さず全て娘に披露しているもんな!リアクションや話し方まで似ていると言われちゃうとちょっとと思うけれど、娘が母の多くの側面を見ることができるようになった証拠です。こんな母ちゃんを可愛いと言ってくれ、受け入れてくれるんですから感謝です。 
                    娘が3歳まで、立派な母になるべく肩に力を入れ、自分をかなぐり捨て母であろうとした私。ある日、そんな自分を自分自身で見つけて、はっとした。母とはいったいいかなるべきものなのだろうか?母であろうとした自分が娘に対して行っている行動は、、、と、、、、。子供が今の日本の中で将来が楽なように早期教育をしている。礼儀正しく日本の通常のマナーのかたちを教え込む。娘の心の状態と世間一般の親としての自分に困惑した時期があった。「蝶よ花よとこどもをいじめるな」という本を何処かで読んだ記憶がある。子供に良かれと思って習わせているお稽古事も含め、子供の心を飛び越えてしまう、世間一般の良い教育、良いお母さんになることを私は辞めた。母としての自分ではなく、人間としての自分を全て娘にさらけ出すようになっていた。娘の遠い記憶の中にもお母さんであった時のママと今のママというようにこの違いをしっかりと認識している。「何時からママはお母さんじゃなくなっちゃったんだろうねェ?でも、今のママの方が大好きだよ。」と言ってくれるから、お母さんらしいお母さんより娘はメイちゃんみたいな本来の私であるお母さんを気に入ってくれているみたいです。お母さんと言う衣を脱ぎ捨ててから、私は生きることがとても楽になり、自分を自分として、自分の人生を歩めるようになりました。そして、娘にも心と心で接し、愛情で娘と対話するようになりました。 
                    それではお母さんでなくなったことにより実生活の中でどんな現象が起きるのかをお話いたしましょう。 
                    「ママ、明日からテストなんだから、お母さんらしく勉強しなさいって言ってよ。」とせがむ娘。 
                    「ママにそんな体力と気力を使わせるんなら、何かお料理作ってよ。」 
                    「今夜は私が夕食作るから。」 
                    交渉成立! 
                    故意にそうした訳ではないけれど、一般的なご家庭で親が安売りしている親らしい言葉は我が家にとっては高価な言葉になっている。 
                    朝、寝坊をして忙しそうにしている娘には 
                    「どうせ間に合わないんだから遅刻するか、休んじゃったら。」と言う母。 
                    「ダメなの、きょうは聖歌隊がある朝なの!」 
                    「・・ちゃんがおうちに居てくれる方がママは楽しいよ。」「学校に行かないでよ!」 
                    「だめでしょう!お母さんなんだから」 
                    「なるべく早く帰ってくるからさ」 
                    どちらかと言うと、母である私は常に娘の気持ちになっている。すると娘は母側の気持ちになるらしい。 
                    自分の体がある場所と心を交換しているみたいなものです。 
                    そういえば、、、洋服を選ぶ時にも 
                    「このお洋服はもっと胸出さなくちゃだめよ。そういうデザインなんだから!」と言うのは母。 
                    英国のお洋服は日本とは違い、胸の谷間を見せるデザインが多い。私はそれはそれでよいと思っている。 
                    自分がどんな思想、思考、生き方を持っていようとも、日本の型にはめられた良いお母さんを演じようと努力する人は多いと思います。価値観は一歩日本を飛び出せば千差万別です。この千差万別の人間の個性を認めようとすることが自由と言う言葉であり、マナーの無い行動が自由と言うことではありません。自由とは個性を認めることでもあり、誰でもが同じ価値観になることではないのです。 
                    自分が自分であろうとするニュートラルな心になれること、これが自分をステップアップできる基本だと思ってもいます。親は子供に実務的(勉強)な内容を教え込む前に心のあり方を教えるべきではないかと思います。 
                    心の教育が順調になされていれば「勉強しなさい。」などという言葉は不要になるはずです。 
                    「子育ての言葉その2」でも「勉強しなさい!」について書いています。ご覧ください。  | 
                 
          
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                  | 母さんは何でもお見通しの魔法使いのようだった | 
                  
                     この頃は  | 
                  
                     トトロに出てくるメイちゃんそのものだそうで・・・・・  | 
           
               
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